佐柳 陽
YANAGIe合同会社 代表
人材業界の"砲兵"が語る不器用な誠実さ前編
機能しないサービスが高額で売られる業界の違和感に対し、なぜ佐柳代表は「理屈」と「誠実さ」を貫くのか。「商店街での商売」と、様々な職場で経験した修羅場やカオス。ITと人材の断絶を埋める"砲兵"としてのアイデンティティが確立されるまでの軌跡を紐解きます。
YANAGIe合同会社
2026年創業。人材業界の商いのノウハウを活かし、AIを中心にIT・デジタル技術で構成されるサービスを展開する。AIを活用したアプリ制作やホームページリニューアルなど「かゆいところ」に手が届くサービスを展開している。
※代表の佐柳氏は、find株式会社(2017年創業)の代表を経て、2026年YANAGIe合同会社を創業。内容は取材当時(find株式会社の代表在任時期)のものとなっている。なお、ひと・会社プロジェクトのパートナーはYANAGIe合同会社が引き継ぐ事になっている。
ITと人材採用。一見遠い二つの領域を「構造」として捉え、ツールという形で繋ぎ直す一人の経営者がいる。YANAGIe合同会社の佐柳代表だ。自らを"砲兵"になぞらえる彼の根底には、商店街で育まれた商売人としてのリアリズムと、二重構造を嫌う不器用なまでの誠実さが流れている。カオスな職場での壮絶な経験を経て辿り着いた、ドラッカー氏や稲盛和夫氏の哲学を血肉とした経営観。「燃費が悪い」と自認するほど理屈を貫き、社会構造の空白を埋めようとする彼の思考の軌跡を、対話を通じて深く解き明かしていく。
ITと人材の「断絶」を繋ぐ理屈の構造
――今の事業を拝見していると、人材採用とITコンサルという「両軸」が非常にうまく機能しているように見えます。これは、うまくその隙間を埋めるような、佐柳さんならではの業態なのでしょうか。
佐柳:そうですね……。まあ、たまたま、なんですけどね。本当に、たまたまって言い方が一番しっくりくるんですよ。
人材だけをやってた人は、例えば今の複雑な採用システムとかこういうツールを見ても、「なんか難しいな」とか「ややこしいな」で終わってしまう。逆にITだけをやってきた人は、もちろん人材の現場がわからないし、求職者の心の機微……もっと言うと、大手のプラットフォーマーさんがどうやって稼いでいきたいのか、企業と人が出会えるようにどういう設計をしてるのか、っていう「商売の構造」がわからない。僕は、たまたまちょっとずつ両方を知っているんで、「あ、サービス提供企業としてはこういう使い方をしてほしいんだな」とか「あ、こうやって、企業と人が出会えるような設計をしてるんだな」っていうのが、なんとなくわかる。じゃあその通り使ってあげたら、結果が出ると。それだけの話なんですよ。
――「構造として理解して、そこを繋げればうまくいく」。言葉にするとシンプルですが、それができる人は他にはいない。佐柳さんはそこが見えていると。
佐柳:そうですね。ちょうどナポレオンの若い時にそんな話があったらしくて(笑)。まずフランス革命で人が死にすぎたと。戦争もしすぎて。で、貴族の人とかもどんどんギロチンにかけられて、まともな人が残ってないみたいな。そんな時に、ナポレオンっていうのはたまたま砲兵だったんで、その大砲の使い方がわかった。だから、こう真っすぐ弾を飛ばして、城を破ったりとか、船を落としたりする方法を、たまたま知ってた、と。だから使い方がたまたまわかるみたいな感じなんですよね。僕のやってることも、まあそれに近いのかなと。人がちょっといなさすぎて。ちゃんと設計されて、弾が飛ぶようにできてる大砲(システム)はあるのに、使う人がいないみたいな状態なんで。
もちろん、昔大手の人材会社で求人営業やってました、みたいな人で、今は主婦(主夫)やってて「ちょっとバイトでもしたいな」ということであれば、たぶん少し理屈が分かればすぐできると思う。(社会人経験とITリテラシー)両方の経験がちょっとずつある人が、まあいいかなと思うんです。そういう人が構造的にいないので。
――スキルセットが全然違う二軸を両立させるのは難しいはずですが、佐柳さんの中ではもう必然、というか、完全に納得ができているのですね。
佐柳:あ、そうですね。やっぱり稲盛さん[注1]もドラッカーさん[注2]もそうなんですけど、まあ、現場で起こったことを体系化する、とか、応用できるようにする、みたいなことを無意識にやってる人たちで、僕もどちらかっていうとそういう感じなんですよ。
だからもし「これ人に聞かれたらこうかな」とか、「こう説明すればいいんじゃないかな」とかっていうのを、無意識に考えるんで。例えば人材事業を一からやる人がいたとしたら、「じゃあこう説明したらいいんじゃないかな」とか、そういうのは常に考えて……。自分にしか役に立たないんですけど、今は(笑)。
――企業からすると、ITのDXも進まないし、採用も決まらない。その両方を一発で解決してくれる存在は、かなりレアですよね。
佐柳:そうですね。だから、今もメールで「こういうことしたいんですけど」って言われて。5行ぐらいで書いてきてもらうことがあるんですけど、でもこれめちゃくちゃ……。多分そのまま返信するの無理やな、と思ったんで僕が構造を整理して書いたら、多分800とか1200字ぐらいになったかな。2時間ぐらいかかったんですけど。(苦笑)
で、こうやって送り返したら、「もうめちゃくちゃ分かりやすいです!」みたいな感じでメールが返ってきて、「これちょっともう今月これ絶対やるんで、会議ちょっと今から稟議上げます」みたいな感じに言ってもらったんです。そんな時、「あ、やっぱりこういう説明の仕方をしてよかったな」みたいなのはありますね。
――すごいですね。やはり地頭がいいと言いますか……。
佐柳:[笑いながら]いやぁ、ですかねえ。(地頭は)あんまり良くはない……。
なんて言うんですかね、僕は「燃費が悪い」んですよ。例えば「これやっといて」って言われて、「はい」ってそのままできたら一番いいんですけど。「いや、でもこれってこのまま行ってもこれあかんな」とか、そういうのをごちゃごちゃ言うんで。いわゆる「手を動かせ」みたいなタイプの社長やったら、多分もうすごいイライラすると思うんですよ。それで僕は「ええー?」みたいな感じで文句言う。
だから「行ってこい」「はい」みたいなのがいい人とは、極めて相性が悪いんです。前の職場の社長とはもう、まさにそんな感じでした。「なんでこれやってへんの?」って言われて、僕は「やる意味あります?」みたいに言う。そして、最後は絶対「俺が言ったんやからやれよ、俺社長やぞ」みたいな話で終わるんですけど。(笑)
だから今は自分で事業をやってるのが、合ってるのかもしれないですね。理屈に合わんことをやってもしょうがないんじゃない、とか。現場の人が嫌がることをやっても仕方ないんじゃない、っていうのがあるんで。
実家で育まれた「商店の感覚」
――その「理屈」や「ポリシー」の根幹はどこにあるのでしょうか。そして、経営理念のようなものにも反映されていますか。
佐柳:そうですね。やっぱり僕は、生まれが商店街みたいなところなんですよ。実家は「浜崎商店」っていう、あの、ばーちゃんのお父さんかな……が、戦後の間もなくぐらいから作った店で。
[スマホを取り出し、古い商店街の写真を見せながら ]
これ、僕が生まれた家が後ろに映ってるんですけど。昔は雑穀とか乾物を扱ってて。で、バブルの時にばーちゃんがペットフードを売り始めて、それが結構当たってたんですよ。でもそのうち大型のホームセンターとかも出てきて、売れるようになってきたんで、もうばーちゃんも年取ったから店閉めて終わり、みたいな感じだったんですけど。
やっぱり原点としては、その「商店の感覚」なんです。人材紹介をして100万と何十万円、ホームページを一個100万円。それが「商店の感覚」かと言われると、僕の中では全然違うんですよ。そんなもん売って、しかも効果がないとかってなると、なんか僕自身が腹立つというか、嫌なんです。
――100万円、200万円というお金の重みが、「商店の感覚」として染み付いている。
佐柳:そう。商店の売上で言ったら、やっぱりもう、1ヶ月、2ヶ月分じゃないですか。それをまるまる突っ込んで何もできませんでした、なんてものが世の中しれっと売ってる。それが、結構やっぱり腹立つというか、「機能もしないものを、なぜ売るんだ」と。
だから、機能するものは売りたい。そして、ちゃんと手頃な値段で。「ま、これぐらいやったらええわ」みたいなところで実現させるのが、技術の話かなと思ってて。
僕が好きな経営者に本田宗一郎[注3]さんがいるんですけど。あの人も、発電機のエンジンを自転車につけてみました、みたいなところが原点です。やっぱり、みんなが使えるもの、効果が出るものじゃないと商品としてダメなんじゃないかと。超大手なら500万なんて予算をどう捌かすか考えてるかもしれないけど、僕が共感できるのは、10万、20万をどうやって使おうか一生懸命考えている人なんです。だから、機能するもの かつ、値段が手頃なものが、僕は世の中には絶対必要だと思うんです。
――そういう現実的な所を見てきているから、「あかんもんはあかん」って思えるんですね。
佐柳:そうですね。大手だと、「まあ、なんかそうですね」って部長の言うことをとりあえず聞いて「じゃあ、後で」ってもう一回すり合わせる、みたいな二重構造で回すじゃないですか。僕はこれがもう、すごいリソースの無駄遣いって思っちゃうんで。「できひんもんはできひん」と言っておかないと、後がしんどい。サラリーマン時代にそれを経験してたんで、逆にリソースの無駄だな、と。
僕は、二重構造がすごい嫌いなんです。取引先にも、理屈に合わないことは「こうですよ」と言っちゃう。二重構造のまま行動すると、たちまちストレスがすごいことになるんで。(笑)
――言葉は悪いですが、楽をしたいからシンプル化している、と言う言葉でしょうか。
佐柳:楽をしたい。エネルギーの無駄、無駄。蛇口の水が2倍出てる、みたいな感じですよね。(笑)若くて体力ある時は二重構造のプロみたいな時期もありましたけど、もう年いってくると無理。一本化したほうがいいっていう感じですね。理念という言葉にはまだなってないかもしれないけど、先祖から教えてもらったり実体験したりしたことから、「これはこうだ」「これはやってはいけない」という軸が、今の理念を作る過程になっていますね。
創業まで~カオスな職場を潜り抜けて~
――実体験といえば、2017年の創業まで、色々な職場を経験されたと伺いました。
佐柳:キャリアのことからお話しすると、僕は大学、秋卒業なんですよ。卒業式も全体で10人ぐらいしか来てない感じで。
親父が早くに亡くなってて、学業より本を読んだりバイトしたりするのが好きで。新聞の夜勤とか、水泳のインストラクターをずっとやってて、なんとか秋に単位を取り切って卒業したのが2009年。ちょうどリーマンショックで混乱してた時でした。
就職活動もせずに、家の近くの中小商社に入ったんですけど。「営業正社員募集」って書いてあったのに、やってることは毎日倉庫の整理。デカい鉄柱をトラックからバーッて降ろして、倉庫にガーンと入れて。あとはなんかすごい金属を機械にかけて、切れるのを1時間待ってる。丁稚奉公みたいなもんです。「これって、これでええんやろか」みたいな思いでやってましたけど、4ヶ月で辞めました。(笑)
その後に大阪の地方紙の記者兼営業になったんですね。8ページぐらいの記事を埋めないといけないし、校了とかも厳しかったんですけど。一方、営業では実務部隊が広島の人たちで、会議も「お前何ハブたれよん[注4]」みたいに全部広島弁だったのが思い出深いです。(笑)そんな中で、仕事自体は結構楽しくやってました。
でも、そこでも理屈にぶつかった。広告を取っても効果がないことがある。でもお金はもらわないといけないっていうことでクライアントと揉める、みたいなこともあった。
東日本大震災が起きた頃だったかな。幹部連中が「事務の人も営業やってもらう」ってことで、デスクの上に電話を置いて「朝出勤したら20件かけてください」とか言いだしたんです。結構荒っぽいなって。当然みんな辞めるじゃないですか。制作の人も辞めていったから、僕がIllustrator[注5]を触りながら、編集も校了もやらなあかん。〆切もあって、毎日夜中2時まで仕事をする。で、「ネタ考えようにも、もうなんか何もできへん」て、心身共に限界になって辞めました。
――そこから、今の「人材」の基礎となる仕事に出会うのですね。
佐柳:ええ。休んで半年ぐらいした時、再就職しようと思ったんですけど、前職のせいで営業ばっかし言われる。「それもちょっと違うなー、他の仕事ないんかな」と思って、アルバイトの求人サイトで見つけたのがエージェント事業のスタッフ募集。学生にバイトを紹介する仕事。それが成功報酬だったんです。行った分だけ、続いた分だけお金をもらう。それが僕にとっては気持ちが楽で、すごくしっくり来たんです。
そこで、新しいネット回線の立ち上げ時期で、スタッフ募集の仕事があって、バブルみたいな感じでした。東は滋賀から西は姫路まで、とにかく人を連れてきてくれ、と。年間300回、京都や三宮で説明会をして、書類を書いてもらって、大阪の本社まで候補者を歩いて連れて行って面接させる。面接担当者と、家族よりも長く会ってました。
――そこから、どのようにして起業されたのでしょうか。
佐柳:はい、まあ(笑)……どこまでお話ししていいかわかんないですけど……。
時代の波に乗って売り上げ自体は上がってたんですけど、メインの一社に依存してて。社長が「ここ以外に流すな」「ここに、とにかく送り込め」ってずっと言ってたんですよ。他にもいい求人はたくさんあるのに、これしか紹介できない。
[少し苦笑いを浮かべながら ]
そんなんで普通に会社をやるの無理やな、付いていかれへんって、みんな思ってましたね。僕が一番その中で古かったんで、スタッフが転職したタイミングで、僕も「辞めるっす」と言って出ました。
それでも残されたお客様をなんとかしなきゃいけない。アルバイトの紹介も中途人材の紹介もニーズはずっとある。僕自身もお客様との関係をなんか続けていきたいなと思ってたので、法人って形で続けていくことにしました。後はもう、オフィス契約みたいな手続きもスルスルスルっと進んで……。振り返ると、かなり「しゃーなし」で創業したところはありますね。(笑)
人材業界の"砲兵"の原点
――今の「IT×人材」って言うのは、前職のどの部分からつながったんでしょうか。
佐柳:残されたお客様をどうするか考えたとき、僕がたまたまWordPress[注6]とかを使えたんで、自分のメディアをなんか持ってみよう、みたいに思ってたんです。
僕の親父が研究者をやっていて、子供の頃から家に研究用のパソコンがあったんです。親父が使う傍ら僕も使ってて、同世代の中ではパソコンを使い始めるのが早かったと思うんですよ。
――ただ、でもそれを事業にしようと考えたのは、どういったきっかけでしょうか。
佐柳:僕が創業して、人材業としてやっていきたかったけれど、その免許を取るには会社の資本要件があったんです。現金で500万円ぐらいかな。そんなお金は当時なかったんで、どうしようかな、っていう時、主に大学時代の先輩方から、Web関係を含めて色々な仕事をお手伝いさせてもらってましたね。
あと、自分でもWordPressでサイトを作って、お客様の求人とかを載せてたこともあるんです。多分今アドレス叩いたら出てきたんですけど。あの、こんな感じで。
[スマホの画面を見せながら ]
多分これ、成果報酬だったかなと思うんですけど。この頃からまあ「ITも駆使していかないかんな」みたいな感じでちょっとはやってましたね。
そんな中で新型コロナが来て、人材系の仕事がなくなった時、逆にWebのニーズが爆発した。「店舗が開けられないからホームページを作りたい」と。でも、当時の業者は「作って終わり」で、ホームページの効果に責任を持たないところが多かったんです。まあ、ホームページには、マーケティングの要素っていうのも絶対要るんですけどね。
僕自身はお客様にGoogleのSearch Consoleとかアナリティクス[注7]とかでリアルタイムのデータを見せてあげたんです。「今、北海道からアクセスされてますよ」とか。すると「え、なんでそんなんタダでできんの!?」って驚かれてました。
ITツールっていう大砲をちゃんと使えば、時代にもしなやかに対応できる。コロナの時に、採用ツールの使い方がわかるベテランたちが他業界へ流出してしまった。会社には「大砲」だけが残って、使い方のわかる"砲兵"がいなくなった。
今の採用はITを駆使しないとやっていけないのに、誰もそのツールの設計思想をわかっていない。だから、ITと人材の両方を知っている僕の出番なんです。設計図を読み解いて、弾が飛ぶように繋ぎ直す。それが弊社の、存在意義なんですよ。
注1:京セラ株式会社創業者の稲盛和夫氏。「経営の神様」と称されています。
注2:経営学者のピーター・ドラッカー氏。「マネジメントの父」と称されています。
注3:本田技研工業株式会社(通称:HONDA)の創業者です。
注4:「お前何ふてくされているんだ」という意味です。
注5:アドビ株式会社が販売するグラフィックデザイン用のソフトウェアです。
注6:ブログやホームページを手軽に作成できるコンテンツ管理システムの一つです。
注7:両方とも、グーグル合同会社が提供するWebサイト分析ツールです。Google Search ConsoleはサイトのGoogle検索結果を、Google アナリティクスはサイトユーザーの数や動向を解析します。