可能性に気づく瞬間 ~実習生を受け入れた四日間で、
私が受け取ったもの~

可能性に気づく瞬間~実習生を受け入れた四日間で、私が受け取ったもの~

同じ地域にある就労継続支援A型事業所から、四日間の企業実習を受け入れました。

当社ではこれまでも多くの実習生を受け入れています。特別な扱いをするのではなく、ともに働く一人として迎えます。当社は「ともに」という言葉を社名に置いています。誰かのために何かをしてあげるのではなく、支援する側とされる側に分けない。お互いにとって良い時間になるように、今回もいつもどおり四日間を組み立てました。

実習では主に二つの目標を設定することが多いです。一つは作業目標、もう一つは「実習を終えて学んだこと」や「どうありたいか」の言語化です。今回も同様に進めました。

初日の面談で目標設定をするときに「自立」という言葉が実習生から出てきました。それに対して私は「自立とは何ですか」と聞きましたが、実習生からは言葉が出てきませんでした。私はあえてアドバイスや答えになるような返答はせずに、「金曜日にもう一度聞きます」とだけ伝えて面談を終えました。意地悪をしたつもりはありません。ただ、ここで具体的なことを言ってしまえば、この四日間の意味が薄れてしまうと思ったのです。

四日目、実習生は自分の言葉で答えを出しました。

今回の実習を通して、お互いの手元に残ったものがありました。


枠のある人

初日の面談で感じたことを、そのまま書きます。

強いやる気を感じられました。人の役に立ちたいという気持ちも、おそらく本物だと思います。話していれば分かります。それなのに、どこか自分に枠をはめているように見えました。

「お役に立ちたい」という言葉は何度も出てきました。それでは、どうお役に立ちたいのですかと聞きます。そこから先が出てきません。そして必ず、同じ言葉が頭についていました。

自分にできることがあれば。

一見、謙虚で良い言葉に聞こえます。ただ私は引っかかりました。自分にできる範囲を小さく見積もって、その内側でだけ役に立とうとしている。役に立ちたいという気持ちは本物なのに、ずいぶん消極的なお役立ちになっていました。

自分で限界値を定めてしまっている。ただ、その線の外側にも、できることはたくさんあるのではないか。そう思いました。

とはいえ、枠は外側からは外せません。「あなたはもっとできますよ」と私が言ったところで、言われただけで終わってしまう可能性が高いと思いました。今回は本人が自分で気づくのが最も良い方法と考えて、四日間をどう組み立てるかを決めました。

答えを渡さなかった

沈黙のあと、アドバイスを出すのは簡単でした。私はこうした整理が比較的得意なほうで、それらしい言葉を並べることはできたと思いますが、言いませんでした。
金曜日にもう一度同じ質問をします、そのときに今より自分が納得できる答えになっているようにしてください。
とだけ伝えました。

そして宿題を二つ出しました。人間観察と、作品観察。当社の社員が何のために働いているのか、どんな思いでものをつくっているのかを見てください、と。

答えを言葉で渡してしまえば、その場で終わります。受け取った側は受け取った側のまま固定されて、四日間ずっと座って聞いている人になります。それでは意味がありません。だから答えは、私の口の中ではなく社員のほうに置いておきました。ともに働く時間を通らなければ辿り着けない場所に置きました。

業務も、練習用の課題は用意しませんでした。実際に運用している当社Webサイトの指定ページを見てもらい、もっとよくするにはどうしたらいいかをまとめてもらう。改善の指示書案の作成です。

この業務を選んだのには理由があります。実習生は、前職でカメラを使った仕事に携わった経験を持っていました。であれば、構図の良し悪しや、見る人の視線がどこへ動くかについては、すでに目を持っているはずだと考えました。Webページの改善は、まさにそこを見る仕事です。

自分にできることがあれば、と言う人に、すでにできることを使う仕事を渡しました。枠の外に何かがあるのではないかと言葉で説得するより、そのほうが早いと思ったからです。

そしてこれは、宿題を仕事の形にしたものでもあります。ページというのは、誰かが何かを思ってつくったものです。その思いを見ないまま、直したほうがいい箇所だけを並べても指示書にはなりません。作品観察をしなければ手が動かない仕事を、そのまま渡しました。

日報が先に行っていた

毎日、日報が上がってきます。所感の欄に、三日続けて同じことが起きていました。

一日目。相手に簡潔に説明するのが難しかった。スクリーンショットなどを利用していきます。

二日目。スクリーンショットを利用し簡潔に説明することができた。ただ、簡潔にしすぎて説明不足なところもあったので、次回は丁寧さを心がけたい。

三日目。改善点を見つけることはできたが、説明がうまくいかないところがまだある。相手のことを意識して取り組みます。

誰も指摘していません。日報の中だけで、課題を見つけ、手を打ち、その結果として出てきた次の課題をまた見つけている。一周ではなく三周しています。

しかも三日目で、話の向きが変わっています。一日目と二日目は自分の道具の話でした。三日目は相手の話になっています。

私が金曜日に伝えようと考えていたことに、先を越されていました。

同じ日の感動体験の欄には、こう書かれていました。実習を通して職場の雰囲気を体感でき、社会復帰のイメージが湧いてきました。

金曜日の答え

約束どおり、金曜日にもう一度聞きました。自立とは何ですか。

自分自身の意見を持つことかな、と返ってきました。

きっかけは何ですかと聞くと、実習生は自分で説明してくれました。初日にいろいろ質問されたときに、何も答えることができなかった。自分は何も意見を持っていなかったのだと思った。だから意見を持って発信していかなければいけない、と考えるようになりました、と。

そこで、悔しかったですか、と聞きました。

思いつきの質問ではありません。初日、答えが出てこなかったとき、実習生は一瞬、悔しそうな顔をしていました。私にはそれが見えていました。ただ、そのときは何も言いませんでした。悔しさというのは、本人が自分で認めないかぎり力にならないからです。だからここで、あらためて聞きました。

そうですね、何も考えてなかったなって、と返ってきました。

ここで初めて、私の側から一つだけ渡しました。

お水がほしいと言っている人が目の前にいたら、どうしますか。ほとんどの人はお水をあげると思います。けれど私はそれをよしとしません。その人が本当にお水を必要としているかどうかは、分からないからです。お水という存在しか知らないだけかもしれない。話して、聞いて、この人は何で喜ぶのかを察してみなければ、助けることはできません。

だとすれば、「自分にできることがあれば」は要りません。相手が喜ぶかどうかと、自分にできるかどうかは、そもそも関係がないからです。お水は持っていなくても、お茶なら渡せるかもしれない。最初から自分の持ち物で線を引いてしまえば、聞く前にお役立ちの機会を閉じてしまうことになります。

四日間の自己評価を聞くと、60点だと言いました。満足していない、もっとできたと思う、と。

伸びしろですね、と伝えました。もっとできたと言えるのは、そこまでできる姿が自分の中に見えているということです。見えているものには、やれば届きます。

そして、答えは完成しないまま終えました。自分の考えとは何か、自分の意思とは何か。そこはまだ解像度が上がりきっていません。だからこれは持って帰ってください、と伝えました。

四日間で完結はしていないように見えますが、次のステップのイメージは残ったのではないかと思っています。

受け取ったのは、こちらでした

最終日、施設の支援員の方が言いました。私のほうが学ばせてもらいました、と。

その話を聞いた別の職員の方が、自分も行ってみたいと言い出したとも聞きました。一人を受け入れたつもりが、作用は施設の側にも広がっていました。

では私は何を受け取ったのか。

可能性に気づく瞬間。

初日、枠をはめているように見えた実習生が、四日目には自分でその枠の名前を言い当てていました。消極的だったと思う、自分に自信がないから保険をかけていた、と。本人の口から出てきた言葉です。私はそのようなことは一言も言っていませんし、答えも渡していないのですから、外から外したわけでもありません。

人の可能性というのは、こちらが見つけてあげるものではないということです。本人が枠の外へ一歩出た瞬間に、そこにあったことが分かる。その瞬間に立ち会えたことが、私にとっての四日間でした。

そして、その姿を見ていて、自分はどうなのかと考えました。私にも枠はあります。ここまでが自分の仕事だと線を引いている場所が、たぶんいくつもある。人の枠には気づくのに、自分の枠には気づかないものです。実習生が自分の言葉で線を引き直したのを見て、私も同じことを考えるきっかけをもらいました。

支援する側とされる側。教える側と教えられる側。そう分けて数えていたら、この四日間の出来事は数え間違えます。

「ために」ではなく「ともに」。当社が社名に置いた言葉の意味、改めて大切なことと気づきました。

実習生は新しい気づきを持ち帰りました。私にも、持ち帰るものがありました。