今井真路
株式会社I.S.コンサルティング 代表取締役
誰もが幸せとなる社会を「共に」
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「35歳で死ぬかもしれない」という死生観から始まった一人の銀行員の転身。彼が辿り着いたのは、「逆境」を価値へと転換し、分断のない組織を築く独自の経営哲学でした。綺麗事を超え、利益と利他を両立させる「無分別」の経営。変化の激しい現代において、組織の在り方とリーダーの覚悟を問い直す、情熱的な挑戦の軌跡を紐解きます。
株式会社I.S.コンサルティング
2006年6月2日設立。合宿免許の教習所紹介事業を中心に経営コンサルティング業・留学エージェント紹介を行う。2015年株式会社I.S.学園を子会社として設立し、フリースクール事業開始。2021年、学校法人利他学園の応援企業に参加。20期目を迎える2026年、「ひと・会社プロジェクト」を始動。
起業の原点――35歳という「命の期限」
――今井社長、今日はよろしくお願いします。当社が展開する「ひと・会社プロジェクト」の第0回目として、まずは今井社長から記事を作らせていただこうと思います。未来の社員や学生さんに向けて、いつもの言葉で、包み隠さず語っていただければと思います。まず最初の質問です。前職は銀行員だったとのことですが、そこからなぜ起業の道へ進まれたんですか?
今井:はい、きっかけは僕自身の過去にあります。父親が35歳の時に亡くなって……。僕が8歳の時やったかな……。そのことで「命っていつどうなるか分からない」っていうのがずっと意識にありました。自分も35歳になったら同じようになるかもしれないと考えていて、後悔ないように生きたいという気持ちは人一倍強かったと思います。
銀行を選んだきっかけも、人よりすごいと思われたい、給料もたくさん欲しい、みたいな「上へ上へ」の思いかな。実は、昔から学校の先生になりたいと思っていて、教育実習も行ったりしたけど、「先生」と呼ばれるほど何もしてないなと思いました。だけど何ができるかっていうのも特に無く、どっちみち頑張らなあかんなら何がしたいって考えて「いろんな人と出会ってみたい」と思って銀行を選んだんよね。
銀行で新規営業を担当させてもらって、いろんな社長とも出会えたのも重要な経験やったな。一人ひとり、「こんな未来・社会を作っていきたい」という強い想いを持っていて、会社を超えた夢持ちながら挑戦してる姿を直で見て凄みを感じた。僕が30歳になって、僕も同期もいろんな会社から声がかかり出して、「このまま銀行でええんか、次どうするんか」と考えた時、出会ってきた社長たちのことが浮かんで、「一度しかない人生なら挑戦してみたい」と思った。その方が、人間的に成長していけるんじゃないかと思って。それで僕は中高大とバレーボールをやってて、会社もチームスポーツみたいな仲間とやってみたいな、と。自分の中では「男のロマン」ですかね。
社長になるにあたって一番したかったことは「頑張ってる人達を応援したい」という部分だね。僕は母親ひとりに育てられた背景もあって、「母子家庭やのに頑張ってるね」と周囲から心配されてた。だから、逆に母親のようないろんな背景がある人が働ける社会を応援したいと思ってました。
挫折と転換点――数字の追求から「働く意味」の発見へ
――起業したての頃は、今とは随分方向性が違ったそうですね。
今井:最初に理念を作った時は僕自身も忘れてしまったくらい、形から入ったとこがあってね(笑)。「大きい会社にするんや!」と、事業計画もなしに「I.Sコンサルティング」って名前で走り出したんです。コンサルって付けたら仕事来るんちゃうかなって。そんなかんじで始まったから、やりたかった就職支援も認可が必要なんすら知らんかった(笑)。
当時は財務バランスのよい会社がよい会社やと信じてて、ひたすら数字を追っかけてたけど、結局どこまでいっても終わりのない欲を追いかけ続けてるだけということに気づいた。
――そこから、どうやって今の方向性に辿り着いたのですか?
今井:最初のきっかけは、障がいのあるメンバーを採用したことやね。銀行にいた頃は「上を上を」と目指すのが評価やと思ってたけど、彼らと働くと「役に立ちたい」「褒めてもらって嬉しい」っていう仕事の本来の意味を僕は忘れてたなと実感した。給料上がれば幸せ、みたいな上昇志向やったけど、今は「この子らが当社で働いてよかったと思える場を作る」ことの方が、僕が起業した意味があるんちゃうかって思ってる。こういう出会いがあって僕自身が気づかされた。「いろんな人から学べるんや、気づかされることがむちゃくちゃ多いんや!」って。
決定的なのは、当社が紹介したお客様で、就職が決まっとった短大生の子が、水難事故にあってしまったことやな(注1)。その時に担当しとった当社の子が「自分が紹介せえへんかったらよかったんかも」ってすごい後悔して、自分も後悔とか無力感とかで一杯やった。知らせを受けてすぐに現地に行ったけど、ご遺族と一緒に海で座っとくことしかできひんかった。けど、お母さんから「御社が親身やったから決めたんです。あの子も喜んでたんです」って仰ってたのが唯一の救いやった。その時、「我々の仕事は一人ひとりの人生に影響を与えとるんや」って、そして「『想い』をもっと大切にしなあかんよね」って、改めて感じた。
それと同時期に一時赤字に転落したなかで盛和塾(注2)と出会って、「あ、理念のことをあんまり整理せずに進んできたんだな」っていうのを一番感じた。フィロソフィを学びながら、自分達のやってる仕事って何のためなんやろうとか考えながら、想いを固めていったんです。
理念の向かう先――一人ひとりが響き合う「無分別」社会
――そうやって色々ないのちに向き合うことで、想いを固めて、磨いて、今の理念に至るわけですね。現在、「一人一人のいのち輝き 誰もが幸福となる 世界そして未来を共に創ります」という理念を掲げておられますが、そこにはどんな想いが込められているのでしょうか。
今井:皆が生き生きと輝いていけたら。自分だけの話じゃなくてね、チームとしてそうなっていったら、自分1人ではできることは限られてるかもしれんけども、もっと大きな部分に自分も一緒に……。あっ、それが「共に」っていうところに繋がるかなと思いました。
――もうすでに「会社の器」を超えて、「社会」という視点になっていますよね。
今井:確かにそうかもしれないね。「当社だけが」みたいなところはもうないですよね。はじめは自分の会社がどこまで大きくなるかっていうのを求めてたけど、今は皆が幸せになっていけたらっていう想いの方が強いかもしれん。
全員が当社で働きたいっていう話じゃなくていい。社会にはいろんな企業があって、いろんな想いがあって、いろんな人がいる。だから、いろんな企業が共に「皆が生き生きと輝く」って方向へ進んでいければ一番よね。働く人にとっては選択肢が広がるから。
もっと言えば、当社を辞めていくって言った子においてもそうやね。新たに自分のチャレンジしたいことが見つかったんやったら、それはそれで「よう見つけて良かったな」と。会社の中で「認め合い」って言いながら、「他行きたい奴は認めん」っていうのは、やっぱり違うかなと思うんよね(笑)。
僕の持ってる想いは、会社の理念っていうより、こういう生き方の社会を皆でやっていきたいよねっていう、僕自身の軸なのかもしれない。「一人一人のいのち輝く、誰もが幸せになるような社会」ってどんなもんやろうと考えたら、利他の心とか良心が響き合ってる社会やと思う。利己の思いがぶつかり合ってたら、そんなふうになれへん。優しい心があるから、命が輝いていけるんやないかな。その大きな全体の中に自分もおるし、自分たちのやってることが全体にも繋がってるのかなって。そういうイメージなんです。
――社長のお話を聞いていると、境界線がない、非常にユニークで広がりを感じます
今井:そやね。僕は「宇宙船地球号」って言葉を聞いたとき、「おー、すごいいいな」って思ったね(笑)。結局、人間って勝手に「分断」して分けてしまってるけど、いかに分けずに生きるかっていうことに挑戦していくことかな。それが「共に」っていう、「無分別」のところに向かうこと。「できへんそんなん」って言われるようなことやけど、そこに挑戦できたら一番いいなと思う。会社がやることかどうかわからんけどもね(笑)。
そもそも「障がい者雇用」っていう言葉も、実は違うなと思ってます。はじめは障がいのあるメンバーも一緒に働ける場所としてやりだした。だけど、障がいのある人だけを特別視するのも、また「分けてる」なーってかんじがする。だから、「当社は全員大切なんや」、「いかに分けずに『共に』歩めるか」を大事にしたい。
僕がそう思うのは、幼稚園からの幼馴染の影響があったんかもしれんね。彼は重度の障がいがあったけど、小学校卒業までずっと一緒に遊んでて、それが僕には「普通」やった。だけど、中学から私学行って、銀行という大手に入ってからの自分を今振り返って感じる。社会のほんの一部しか見えてなくて、当たり前だった「分けてなかった感覚」も忘れてたんちゃうかなと。
その感覚を、今のメンバーが来てくれた時にバチンと思い出させてもらった。「そりゃそうやろな」って。周りからは「身近に障がい者がいるんですか?」とか聞かれるけど、「いや、普通なんです」と答えてます。僕の中ではそれが自然なんやし、今でもそうありたいと思う。
だからこそ、それぞれの「経験価値」を大切にしたいよね。今、RITA学園(共育事業)に来る子らは、不登校を経験したり、いじめを受けていたり、ネガティブな経験をしてる子も多い。それは消したい過去かもしれんけど、それを乗り越えたっていうことは、未来に向けてのすごい大きな経験価値だと思ってる。もしかしたら、ずっと「勝ってます」っていう経験価値以上に大きな気付きがあるんじゃないかな。僕自身もプラスのことばっかり追っかけて大切なことを忘れて生きてたと気づいたし。だから、彼らは見えてないところの「大切なもの」を、すごい感じながら生きてるんやなと日々実感しとる。
社員への想い――本来の自分を「解放」する
今井:ここまで喋りながら、みんなを僕の想いの「巻き込み事故」に遭わせてしもてるなって、ちょっと反省しとるんやけど(笑)。でも、そんなんを一緒にやってくれる仲間がいることが、僕は本当にうれしい。
ただ、もし自分が「何をしてんのやろう」っていう状態なんやったら、「ほんまにここにおることが、君の幸せか?」って、ちゃんと考えてほしい。「今、自分の命を何に使ってるんか」っていう部分には、真剣に向き合ってほしいなって思います。どんな背景があっても関係なく、未来を創っていけるんだと希望を持って。「それいいですね、一緒に挑戦したいです」っていう思いで働ける仲間がいるっていうのは、めちゃくちゃ幸せなことやねと。
僕は、理念を変更した時から「もうこれで行くんや」っていう覚悟を決めとる。だから、何が辛いかっていわれると、業績・数字が下がることよりも、自分たちがやりたいと思ってる「想い」のところに挑戦してないことの方が、ずっと辛い。皆で幸せになろうって言ってる場所で、幸せじゃない人が増えてるのが、一番辛い。だから会社は、幸せを感じれる心とかを、皆で育んでいける場じゃないとあかんな、本気でそうありたいなと思ってる。
――ど真剣に社員の人生に向き合われているんですね。では、社長は社員の方に具体的に「どうあってほしい」と願われていますか?
今井:僕はね、大切に思ってる割に、あんまり言葉でちゃんと言えてないとは思ってますね(笑)。伝えたいのは、「みんなもめちゃくちゃ可能性あるんやで」ってこと。僕は根本的に、みんなそれぞれ素晴らしさを持ってると信じてる。そこを信じてもっと本気で行こうや、っていうのが一番言いたいことかもしれない。
逆に「こうじゃなければいけない」っていう枠に縛られすぎてても、本来の自分は出せないのかなって思う。実は僕自身も、銀行員の時なんかは「上に上がるためのスキルを高めていく」「こうあるべき」って、ずっと自分を縛ってたかもしれん。だけど今、理念が変わっていくのと同時に、自分の感じる部分……「本来の自分」を解放していってるって感じる。想いを誤魔化さず、内発的な情動を大切にして、主体的に生きられるような会社を作りたい。みんながそうなっていけたら、その空気はお客さんにも必ず伝わっていくから。
――少し前に、社員が「当社とは別の道へ進む」と決断したときも尊重されると伺いましたが、その背景には何があるんでしょうか。
今井:僕自身、銀行を辞めて起業した選択に全然後悔してないしね。「ここにいてくれ」と縛るのは僕のエゴかなと。自分の道を見つけて挑戦したいなら応援するし、もしまた戻りたくなったら戻ればいいやろうと思ってますよ。
――もっと自分のやりたいことを進めた方がいいんじゃないかってことですよね。では、社員から挑戦を待っているイメージはありますか。
今井:めちゃくちゃありますね。理念に共感して、「こんなことチャレンジしたい、動機はこうで、こういう理念に沿って…」という内発的な情動が出てくるのが一番嬉しい。自発的に意見を出すのは簡単ではないかもしれないけど、僕はみんなのそういった想いを大切にしていきたいと思っているので、そういったメンバーが「自分らでもっとチャレンジしよう」と思えるようになっていきたい。僕がいなかったら成り立たないような会社じゃなくて、皆が内に秘めた想いを外に出せるような、そんな会社にしていきたいですね。
未来への祈り――猛反省の夜と希望の朝
――最後に、社長流の自分との向き合い方を教えてください。
今井:毎晩反省、反省やね。理念とか、仏の道に対してどうなんや、今日も「言い方ちゃうかったかな」「想いが伝わったかな」って。でも、実際は全然できてなくて、「まだこんなんや」って反省してばかり。「早く人間になりたい」みたいな感じで毎日振り返ってるかな(笑)。
朝は日の出感じながら「希望に満ちて行くぞ!」って切り替えていけるように。そして仏壇で、亡くなった父親…さらにご先祖さん、神さんに「見守ってくれてありがとう」と感謝して…。ほんで稲盛さん、宗道臣さん(注3)、家の宗派の空海さん。みんなの想いに繋がって、この仕事やらしてもらってます、今日も無事に幸せにおれるように、って祈ってます。
注1:友人と遊泳禁止時に海岸沿いに遊びに行った際に高波にさらわれてしまった事故でした。
注2:盛和塾は、 京セラ・KDDI創業者である稲盛和夫氏が主宰した、経営者向けの勉強会です。塾生は「企業の隆盛と人徳の和合」を目指し、経営哲学(「京セラフィロソフィ」など)を中心に学んでいました。
注3:1947年に香川県多度津町で少林寺拳法を創設した宗道臣氏は、教育の場として「禅林学園」を設立しました。RITA学園(学校法人利他学園)は、その教育拠点である多度津の地と「利他」の精神を受け継ぎ、経営を継承しました。